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今日7月5日は私の誕生日、昭和15年7月5日生まれだから御年71歳ということになる。 70年も良くぞ・・・という気持ちと、ここまで来れば更に80歳代、90歳代を目指そうかという欲も出てくるから私も結構欲張りな人間でもあるようだ。 80歳、90歳はさておいて・・・、私が生まれた昭和15年、1940年という年は、いったいどんな年だったのだろうかという興味も涌いてきたので少し調べてみたのが以下のような時代であり、世相だった。 時代を生きてきた証人としての記述ではなく、単なるウキペディアなどの寄せ集めであるが・・・ 昭和15年、1940年とは・・・ まず、重大ニュースから見てみると、9月27日、「日独伊3国同盟締結」がある。 アメリカは第2次世界大戦に参戦していなかったが、3国同盟はアメリカを硬化させ、ハル米国務長官はイギリス・中国への支援強化と日本への経済制裁を表明し、太平洋戦争へ駆り立てる契機となった。 昭和15年は「紀元2600年」にあたる年だった。 天皇家の始祖・神武天皇が即位してから2600年目だということで、2月11日、全国11万の神社で紀元節の大祭が行われた。 創氏改名、朝鮮人の氏名を日本式に改めさせる「創氏改名に関する法律が施行」された。 「創氏」とは、それまで朝鮮の伝統であった「夫婦別姓」を「夫婦同姓」にかえ、戸主中心の「家」の観念を確立するというもので、「改名」とはその際、日本式の姓に改めることとされた。 創氏は法的に強制され、改名は任意であるとなっていたが、実際には日本式の姓を名のることが「皇民化の証」とされ、役場や学校、警察などをつうじてさまざまな形で強制された。 政治面の動きを見ると、 2月2日:斎藤隆夫が衆議院で反軍演説。議員除名。 6月24日:近衛文麿が新体制運動推進の決意表明。 7月26日:基本国策要綱を閣議決定、大東亜新秩序・国防国家の建設。 7月27日:武力行使を含む南進政策決定。 9月22日:日・仏印軍事協定成立。 10月12日:大政翼賛会結成。 続いて社会面を俯瞰する。 ますます戦時色が色濃くなる中、1月には調理用及び医療用以外の暖房電熱器、家庭用電気冷蔵庫、電気風呂などの“電気器具の使用が禁止”された。 3月には名古屋で“マッチの配給”が始まり、高知でも“米の配給”が始まると、この後全国に広まって行くこととなった。 また内務省はカタカナ名の芸能人に改名するように指示を出した。 ディック・ミネ、ミス・ワカナ、ミス・コロムビアなど16名が槍玉にあげられ、改名を余儀なくされた。 こうした芸名は皇室や神社の尊厳を汚す惧れがある事や、外人崇拝を促し、社会に不安を与えるという理由からのようです。 これ以降も、“カタカナや英語も禁止”され、商品の呼び名も、次々と変えられる事になった。 同じく外国の都市名も漢字化されます。 カタカナが漢字になった例 ニューヨーク ⇒紐育 ロンドン⇒ 倫敦 ベルリン ⇒伯林 ワシントン⇒ 華府 ジュネーブ ⇒寿府 ウィーン⇒ 維納 ⇒サンフランシスコ ⇒桑港 ローマ⇒ 羅馬 ディック・ミネ ⇒三根耕一 ミス・コロンビア⇒ 松原操 クロール ⇒早泳 サッカー⇒ 蹴球 ゴルフ ⇒打球・芝球 サイダー⇒ 噴出水 ドレミファソラシド⇒ ハニホヘトイロハ フライ⇒ 洋天 “生めよ、殖やせよ”の大号令が発表されたのは前年からだったが、5月には“修学旅行が禁止”され、“マッチの切符制”に続き、“砂糖も切符制”となった。 6月には銀座と月島を結ぶ“勝鬨橋が完成”した。 この橋は、元々皇紀2600年を記念して開催される予定だった、万国博覧会の会場である月島を結ぶ橋として計画されましたが、博覧会は戦局の悪化により中止となった。 昭和15年竣工の勝鬨橋 “隣組”という歌が放送されたのもこの頃であるが、同時に銃後を守り防空防災の観点から、内務省により“隣組強化法”が制度化される。 戦後GHQによって解体されますが、地域によっては現在も隣組制度が残っているところもあるようだ。 一方隣組の歌は、歌詞が変えられてドリフの大爆笑のテーマソングになったり、CMソングとして現在も知られている。 “七・七ぜいたく禁止令”が発令されたのが7月です。 正式には“奢侈品等製造販売制限規則”と言い、西陣織などの豪華な着物地や羽織地や、首飾りや耳飾り、ダイヤやルビー、金銀品や象牙製品の製造が禁止され、1個50円以上の時計類も販売が禁止された。 因みにイチゴなどもぜいたく品とされていたようである。 翌月には東京市内に“ぜいたくは敵だ”という立看板が1500本設置され、“ぜいたく監視隊”なども登場する。 更に食生活対策として料理店にも価格の上限が決められ、昼間のお酒類の提供も禁止された。 ぜいたくは敵だ 10月には“国民服令”が発せられ、日本国民男子の標準服装が定められた。 “皇紀2600年記念式典”が国を挙げ行われたのが、この年11月である。 因みに、この年に登場した “零式艦上戦闘機、いわゆる零戦(ゼロ戦)”はこの皇紀2600年の零を記したもので、翌年に製造されたものは一式といい、翌〃年は二式艦上戦闘機と言われたそうです。 上野の国立科学博物館には、実際に第二次世界大戦で使用された零式艦上戦闘機21型が展示されています。 昭和20年に墜落し、ニューブリテン島沖の海底に裏返しで沈んでいたものを、昭和47年に引き上げられたものとかである。 5機の飛行機で修理されたゼロ戦(靖国神社遊就館蔵) こうした戦時色の強い中、歌われていたのは軍歌が多くなった。 昭和12年・愛国行進曲、露営の歌 昭和13年・日の丸行進曲 昭和14年・父よあなたは強かった、愛馬行進曲 そして、昭和15年のヒット曲、流行歌を並べると・・・ ・紀元二千六百年[作詞:増田好生、作曲:森義八] ♪ 金鵄かがやく 日本の 栄ある光 身にうけて ・誰か故郷を想わざる(霧島昇) ♪ 花摘む野辺に 日は落ちて ・りんごのひとりごと ♪ 私は真っ赤なりんごです お国は寒い 北の国 ・東京の花売娘(岡晴夫) ♪ 花を召しませ 召しませ花を ・暁に祈る[作曲:小関裕而] ♪ ああ あの顔で あの声で 手柄たのむと 妻や子が ・目ン無い千鳥(霧島昇/松原操)[作詞:サトウハチロー、作曲:古賀政男] ♪ 目ン無い千鳥の高島田 見えぬ鏡に いたわしや ・蘇州夜曲(霧島昇/渡辺はま子)[作詞:西条八十、作曲:服部良一] ♪ 君がみ胸に 抱かれて聞くは 夜の舟歌 恋の歌 水の蘇州の花散る春を 惜しむか 柳の啜り泣く ・隣組 ♪ とんとん とんからりんの 隣組 格子を開ければ 顔なじみ 回して頂だい 回覧板 月月火水木金金 最後にこの年に生まれた人としては・・・ 津川雅彦[俳優](1.2)、 森村桂[作家](1.3)、 王貞治[プロ野球選手](5.20)、 立花隆[評論家](5.28)、 大鵬幸喜[横綱](5.29)、 浅丘ルリ子[俳優](7.2)、 リンゴスターRingo Starr[英・ビートルズのメンバー](7.7)、 ジョン・レノンJohn Lennon[英・ビートルズのメンバー](10.9、〜1980)、 ペレ[ブラジル・サッカー選手](10.23)、 ブルース・リー[米・俳優](11.27、〜1973)、 篠山紀信[写真家](12.3)、 細川俊之[俳優](12.16) などがその名前を連ねている。 先月生まれたばかりの孫娘のように、おしめをしていた私の昭和15年、1940年はかくして過ぎて行ったようだ。 |
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